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東京高等裁判所 昭和61年(ラ)214号 決定

抗告人 松田吾一

相手方 松田花子

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

抗告の趣旨は、「原審判を取り消し、本件を東京家庭裁判所に差し戻すとの裁判を求める。」というのであり、抗告の理由は、「原審判は、抗告人と相手方との間で昭和57年3月31日成立した「別居期間中の生活費用は原則としてそれぞれの負担とする。」との合意は離婚を前提として別居し1年以内に協議して離婚するとの基本的合意を前提とするものであるから、その後離婚を拒否するに至つた相手方と離婚を望む抗告人との間で協議が成立しないまま右1年の期間が経過し、更にその後も離婚あるいは別居状態の解消のいずれの合意も成立せず、もはや当分の間合意成立の見込みがなくこのまま将来も別居状態が続くと予想される現段階においては、婚姻費用に関する右合意はその効力を有しないものと解するのが相当である、としている。しかしながら、相手方は、右合意と同時にされた財産分与に関する覚書に基づいて抗告人から預貯金を受領していることからも窺えるように、真実は離婚意思を有しているにもかかわらず、抗告人から高額の給付を取得する意図をもつて形式的に離婚に応じないでいたずらに時日を延引しているにすぎないから、別居中の婚姻費用は各自の負担とした右合意はなお有効なものといわなければならない。原審判は誤りである。」というのである。

しかしながら、一件記録によれば、抗告人と相手方は、昭和57年3月31日、別居するに当たり「別居中の生活費は原則としてそれぞれの負担とする。」旨の合意をしたが、同時に、双方が1年内に協議し離婚することをもその合意の一内容としていることが認められるから、右合意は、協議離婚に到達し得る期間を1年と想定しその間の婚姻費用の分担を定めたものであることは明らかである。しかして抗告人と相手方との離婚の協議は、もともと相手方において離婚を望んでいたものでもなく、離婚の場合において3人の子の親権者をいずれにするかにつき前記合意の際から対立があつて容易に妥協する見込みがなかつたことから予定の1年間においては成立せず、相手方から抗告人に対して仮差押えの執行をしたことにより更に困難化し、現在まで既に4年を経過するに至つているのであることが一件記録から認められ、かかる事情の下においては、右婚姻費用分担に関する合意は、合意後1年限りのものであつてそれ以後の婚姻費用分担の関係にはその効力は及ばないものと解すべきである。

抗告人は、相手方は離婚の際に高額の財産給付を受けるべき意図により離婚の成立を妨げいたずらに時日を延引している旨主張するが、かかる事実を認めるに足る資料はない。

また、抗告人は、相手方のした仮差押執行により損害を被つたとしこれを自働債権として本件婚姻費用分担金債権と相殺する旨主張するが、受働債権とされるべき具体的な婚姻費用分担金債権は審判によつてはじめて形成されるものであり、しかも即時抗告に服する審判は形式的に確定しなければ効力を生じない(家事審判法第13条)のであるから、本件受働債権はいまだ発生していないことに帰し、結局抗告人主張の相殺は、自働債権が存するか否か及び婚姻費用分担金が相殺禁止の債権であるか否かという問題はあるけれども、それとはかかわりなく、その効力を生ずるに由ないものといわざるを得ない。

その他一件記録に表れた資料を子細に検討してみるに、当裁判所もまた、抗告人は相手方との婚姻費用の分担として昭和59年5月から離婚又は別居状態の解消まで1か月3万円ずつを相手方に支払うべきものと判断する(その理由は、原審判の説示を引用する。)ものであるから、その支払を相手方に命じた原審判は誠に相当であつて、これを取り消すべき事由は存しない。

よつて、本件抗告は理由がないからこれを棄却し、抗告費用は抗告人に負担されることとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 賀集唱 裁判官 安國種彦 裁判官 伊藤剛)

〔参照〕原審(東京家 昭59(家)13034号 昭61.4.9審判)

申立人 松田花子

相手方 松田吾一

主文

相手方は申立人に対し、金69万円を支払え。

相手方は申立人に対し、昭和61年4月から離婚または別居状態の解消まで毎月末日限り金3万円を支払え。

理由

1 申立ての趣旨

相手方は申立人に対し、婚姻費用分担として毎月相当額の生活費を支払え。

2 当裁判所の判断

(1) 当事者双方の審問の結果及び本件記録中の資料、当庁昭和58年(家イ)第5699号離婚調停申立事件並びに昭和59年(家)第2601号夫婦同居申立事件の各記録を総合すると、次の各事実を認めることができる。

ア 申立人と相手方は昭和41年4月6日婚姻し、長女ゆかり(昭和45年7月13日生)、二女かおり(昭和47年6月2日生)及び三女ゆき(昭和52年2月19日生)をもうけ円満に暮らしていたが、次第に夫婦間での考え方の違いが目立つようになつて夫婦仲がうまくいかないようになり、昭和57年1月ころ相手方が当時家族で住んでいた借家を出て同一敷地内の別棟に寝起きするようになつた。そして同年3月30日及び翌31日の両日申立人及び相手方は前記の申立人方において相手方の大学時代の友人で申立人とも親しく申立人及び相手方夫婦の生活状況に通じている岸田利太郎に立会つてもらい、今後の夫婦生活について話合いをし、離婚を希望する相手方とこれに反対する申立人との間で意見が対立したものの、最終的には、離婚を前提に別居し、その間1年以内に協議して離婚することを骨子とする合意が成立した。そしてその別居期間中申立人が長女及び三女を、相手方が二女をそれぞれ養育することとし、その養育費用並びに申立人及び相手方双方の各生活費用はいずれも原則としてそれぞれの負担とし、なお特別の出費を要する場合は相手方は申立人に協力するとともに三女の送迎費用は相手方の負担とすること、その他埼玉県所在の相手方名義の土地及び建物に関する借入金の返済、税金の支払等は相手方が行うこと等も併せ約定され、これらを内容とする「別居するにあたつての覚え書」と題する書面が作成された。さらに申立人及び相手方が有する預貯金等については申立人が合計金351万円余に相当するものを、相手方が合計金331万円余をそれぞれ取得すること、前記の土地、建物については、売却等により換価したうえその代金を平等に取得することも約定され、これらを内容とする「財産分与覚え書」と題する書面が作成された。これら2通の書面にはいずれも申立人、相手方及び立会人として前記岸田の各署名押印がなされた。

イ 申立人及び相手方双方は前記合意にしたがい、昭和57年4月ころ相手方において二女を連れて肩書住所地の相手方の実家に転居し、他方申立人において長女及び三女とともにそれまでの住所である肩書住所地に居住することとなつて別居状態となつた。しかし、その後申立人が離婚に反対の意思を表明するに至つたため相手方との間で合意が成立せず現在まで別居状態が続いている。そしてこの間申立人は昭和58年8月2日夫婦同居を求める調停を、相手方は同年10月21日離婚を求める調停をそれぞれ当庁に申立てたが、いずれも合意が成立する見込がないとして昭和59年3月23日不成立となつた(なお、前者は審判手続に移行した。)。申立人はその後同年5月24日当庁に婚姻費用分担を求める調停を申立てたが、同年12月24日合意が成立する見込がないとして不成立となり、本件審判手続に移行した。

ウ 相手方は前記「別居するにあたつての覚え書」と題する書面記載の約定にしたがい、申立人に対し、昭和57年5月ころから昭和58年9月ころまでの三女の幼稚園への送迎費用等として毎月1万円ないし2万円を交付し、また前記「財産分与覚え書」と題する書面記載の約定にしたがい、昭和59年7月17日までに合計351万円余の預貯金等を交付した。そして相手方は申立人に対しその他生活費は一切交付していない。

エ 申立人は小学校教諭として勤務しておりその昭和59年度の収入状況についてみると、

年間収入 = 年間総給与所得-所得税額-社会保険料-住民税額

(便宜上、昭和60年度分を使用した。)

= 5,506,735-302,900-289,498-224,760

= 4,689,577(円)

月平均収入額 = 39万798円(1円未満切捨て)

となる。職業費としてその2割を控除すると、申立人の1か月あたりの可処分所得は、31万2638円(1円未満切捨て)となる。

オ 相手方は東京地方○○組合○○会に職員として勤務しておりその昭和59年度の収入状況についてみると、

年間収入 = 年間総給与所得-所得税額-社会保険料-住民税額

= 5,604,500-359,000-314,770-234,000

= 4,696,730(円)

月平均収入額 = 39万1394円(1円未満切捨て)

となる。職業費としてその2割を控除すると、相手方の1か月あたりの可処分所得は、31万3115円(1円未満切捨て)となる。

(2) 以上認定した事実に基づいて判断する。まず相手方は、昭和57年3月31日申立人との間で、別居期間中の生活費用、子の養育費用は原則として各自の負担とする旨の合意が成立しているのであるから、相手方には婚姻費用分担義務はないと主張するのでこの点につき検討する。申立人と相手方との間に相手方の主張する内容の合意が有効に成立したことは前記(1)アで認定したとおりである。しかし、上記合意は、離婚を前提に別居し、その間1年以内に協議して離婚するとの基本的な合意をその前提とするものである。したがつてその後離婚を拒否するに至つた申立人と離婚を望む相手方との間で協議が成立しないまま上記1年の期間が経過し、更にその後双方からの申立てによる調停においても離婚あるいは別居状態の解消のいずれの合意も成立せず、もはや当分の間合意成立の見込がなくこのまま将来も別居状態が続くと予想される現段階においては、婚姻費用についての上記合意はその効力を有しないものと解するのが相当である。そうすると、前記のような別居に至つた事情、別居後の状況等にかんがみると、相手方は申立人に対し相手方の社会的地位、収入に相応した生活を保障するいわゆる生活保持の義務があるというべきであり、申立人及びその養育する子らの生活費として相当額の婚姻費用を分担する義務があるといわなければならない。そして、その分担額を定めるにあたつてはいわゆる労研方式により算出した負担額を参考とすることが考えられる。そうすると、各人の消費単位は、それぞれ申立人が90(47歳、女、軽作業)、長女ゆかりが90(高校1年生)、三女ゆきが60(小学4年生)、相手方が100(48歳、男、軽作業)、二女かおりが80(中学2年生)となるから、これにより相手方の1か月あたりの分担額を計算すると、

相手方の分担額 = (312,638+313,115)×(90+90+60)/{(90+90+60)+(100+80)}-312,638

= 44,935円(1円未満切捨て)

となる。

そしてこの金額を参考にしつつ、前認定の別居に至つた事情、別居後の状況とりわけ相手方は前記財産分与の合意にしたがつて相手方に対し合計金351万円余の預貯金等を交付していること等の一切の事情を考慮すると、相手方は申立人に対し婚姻費用分担金として1か月金3万円を負担すべきであるとするのが相当である。

この分担義務の始期については、本件申立てに至る経緯を考慮し、申立人が確定的に請求の意思を表明するに至つた本件調停の申立時、すなわち昭和59年5月分からとするのが相当である。そうすると昭和59年5月分から昭和61年3月分までの23か月分合計金69万円は既に履行期が到来していることになる。なお相手方は、前記相手方名義の土地建物を売却しようとした際に申立人から同不動産につき、金1500万円の財産分与請求権を被保全債権とする仮差押を受け、やむなく他から借入れをして同金額相当の金員を仮差押解放金として供託せざるを得なかつたが、同仮差押は後に裁判所に取消されたものであり、相手方は、申立人によるかかる無謀な仮差押処分により前記借入金に対する年5分の割合による利息金相当の損害(金103万3561円)を受けたのであるから、申立人に対し不法行為による金103万3561円の損害賠償請求権を有することになり、これをもつて前記の履行期の到来している婚姻費用分担金支払請求権と対当額において相殺する旨主張するけれども、婚姻費用は他方配偶者等の生活を維持すべく支払われるものであつて現実の履行が必要とされるものであり、したがつて同請求権を受働債権とする相殺は許されないものと解するのが相当であるから、その余の点について判断するまでもなく、相手方の上記主張は採用できない。

3 結論

よつて、相手方は申立人に対し婚姻費用の分担金として、金69万円を即時に、昭和61年4月から離婚または別居状態の解消まで金3万円を毎月末日限りそれぞれ支払う義務があるから、主文のとおり審判する。

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